2011年6月12日日曜日

宮古島 祈りの旅 神と出会うまで 10


島尻港より船で15分。

大神島に上陸だ。

後から思うと上陸前から既に御神事モードになっていたようで、終わった後の写真しか残っていなかった。


いよいよ御神事が始まる。

先ずは港近くの竜宮神に御挨拶の祈り。


ここで、男神の役で立つ。祈りが始まるや否や、知覚、思考、意識の感覚ががらりと変わる。

祈りに集中し、祈りと一体となり、祈りが見える。

自分の役目、すべき事が誰にも何も聞いてないのに全て分かり勝手に体が動く。・・・神に使って頂いている状態だ。

そして、自分には光を反射させる鏡(照明係り)と、時たま入り込んで来る邪気を抜く掃除係りの役目がある事が分かった。

チームの中での単なる役目なのだ。

祈りの途中、鏡の役目として、我々が祈る先に光を送る必要性を強く感じ、祈りの形を勝手に変える。

それまでの御神事では吉岡さんや、巫女さん達にならい、頭を下げ、両手のひらを天に向かって差し出す祈り方をしていたのだが、その時はその時の自分の役目として違う形を取るべき事が明確に分かる。

これまでの御神事で、祈り方や作法について全く言及されていないため、自分だけ違う事をするためらいが一瞬頭をよぎるが確信がそれを上回った。

祈りの先に大きく腕を伸ばし、手のひらを思いっきり広げて光を送る。


終了直後、確信はあるのだが何しろ初めての体験なので吉岡さんに確認を取る。

「吉岡さん、今ので合ってますか?!」・・・振り向きもせずに大きくうなずかれる。・・・良し!!!

後に宿舎でのミーティング中、この時の事を吉岡さんから聞いた。・・・「あの時祈っていると、神様に、もう一人の男に手を挙げさせろって云われたからチラッと勝っちゃんを見たんだ。そしたら大きく手を挙げてたんだよな~!」


続いて島の頂上「遠見台」での天岩戸陰陽神事に向かう。

木製の階段を登って行く。吉岡さんのすぐ後についていた私は吉岡さんにまとわりつく邪気を必死で外していた。

するとまた振り向きもせず、「勝っちゃん、俺は良いから後ろをやってやれ!」・・・う~んこれも合ってたんだ・・・「ハイ!」。 ちなみに吉岡さんは途中一度も私の事を見ていない。

この旅で得た役割の一つである「邪気を抜く仕事」は、左から入ってくる邪気をセンサーとなっている右肩で感知。それを右手から放出すると云うものである。何故か知らないが知らぬ間に出来るようになっていた。

それぞれの邪気の正体が霊能者のように解る訳ではないが、この地には姥捨ての過去があったりするので浮遊するマイナス想念も多いのかも知れない。


そしていよいよ遠見台での御神事だ。

祈りの向きに男神・吉岡さんが座り、その傍らに宮古島在住の神巫女であり宮古・天照番の巫女。その二人に背を向けて妻が入口の巫女、私が陽の男神として立つ(姿勢ではありません)。そして6人の巫女たちが其々の役を果たす。


祈りが始まる。

天に向かって大きく手を広げる妻が宇宙神の御一団をお通しする。次いで依り代となっている私が通りを良くするため精一杯邪を払い後ろの男神に通す。

(・・・こう書くと、其々に時間差があるようだが、私の感覚では全ての事が同時に起こっている様に感じる。)


神様の御一団は心の映像でもはっきり見える。右上空から薄いブルーの大きな雲の様な塊としてこちらへ向かってくる。通りの良いものと通りにくいものがあり其々に対応する。

その映像は、妻も全く同じものを見ていた事を後で知った。

暫くすると終りに近づいたのが分かる。全身全霊を使わされへとへとになっているので、漸く終わりかと安堵したのもつかの間、第二段の御一行が訪れる。


第二段をお通ししている最中、巫女の一人が唸りだす。何かが憑ったのだろうか?、それを通そうとするのだがいくらやっても通らない。

限界を感じて後ろの吉岡さんに、「これ誰なんですかっ?」と尋ねる。

祈りに集中していた吉岡さんがピクン!と反応。低い声で、「後で云う!」とだけ答える。

尚も通らないままなので更に、「これも僕がやるんですか?」・・・と聞くが無言。

後で、「俺、御神事で話しかけられたの始めてだよ~」と云われ、笑い話になったが、とにかく必死だったのだ。


暫くするとそれも通ったのか終息に向かう。完全にお通ししたのが分かると、向きを変え、祈りの方向へ手を広げる。照明係りだ。

ほどなく終了。

・・・疲れた、御神事と云うものがこんなに大変なものだとは知らなかった。その場に座り込んだ。


祈り人は年中こんなことをして下さっているんだと思うと頭が下がる。吉岡さんが「命懸け」と云うのも納得だ。ありがとうございます。


この祈りは、男神を二人立てた事、入口を夫婦ペアで行った事として前代未聞だそうだ。


これでここの天岩戸が開かれた。

今何故、天岩戸開きやその他の御神事が必要かと云えば、地球の次元上昇の一大転換期だからである。

個人レベルでも皆其々が意識を上げなければならないし、土地や場所、空間レベルでもエネルギーの調整が必要なのだ。

集合無意識と繋がっている神意識へのアプローチがされると、三次元的にも様々な変化が起こる。その事のお陰だと分からなくても、気付きや学び、愛や調和の実感等、人間個人個人に影響を及ぼす。

事実、特に震災後、自分の何かが変わったと実感している人は多い。

自分が変わらなければ何も変わらない、輝く未来も、輝く今も、自分の中の今そこにある。

遠見台から



疲れ果て立てない


2 件のコメント:

  1. こんにちは!!
    水曜日は最高でしたね。
    楽しかった―。

    楽しまないとねー!!
    マイナスはさようならー。

    なおこ

    返信削除
  2. ほんまに最高でしたね!

    あれを聴けたことってすんごくラッキーな事です。

    音楽の神様が降臨してましたね。

    昨日、運転中に寺本屋に良さそうな貸事務所を見つけ周辺を見たんですが、ちょっと人家が近すぎて音的に駄目でした。

    良いとこあるといいね。

    日々是好日。

    返信削除