ヤマトブー大岩から、牧山展望台を経て、「豊見氏親(トヨムウズヌシュー)」の墓碑へ。
1450年、伊良部島の首長であった豊見氏親は、海で暴れ多くの島民の命を奪っていた「フカ」を、自らの命を掛けて退治した英雄である。
墓碑の隣に豊見氏親の子孫が最近になって建てた拝所(うがんじょ)がある。
ここでも祈るのだが、そこでの祈りはこの旅で唯一の人格神への祈りである。(先発隊は宮古島でも行った)
祈りが始まってほどなく、吉岡さんの神言葉による祈りが止まり嗚咽に変わる。
鼻をすすりながらの祈りを終え、話を聞く。
「ヤマトの人たちが、これほど私たちの島の事を思ってくれるとは、とてもうれしいことです。この星に生まれた子供は全て私たち親たちの子供だからこそ、未来に命を繋ぐ為に手を、心を合わせてくれる皆さんの気持ちに心から感謝しています。あなたたちは、私の島の子供と同じです。島の家族の一員として、これからも一緒にこの島を守って下さい。」・・・と仰っていたのだと云う。
まさかそんな言葉を掛けてくれるとは思ってもみず、苦労が報われた思いで胸が詰まったのだ。
神も人もされて嬉しい事は同じである。
御神事で泣かされたのはこれが初めてだったそうだ。
余談だが、この祈りの前に「祭壇周辺のゴミを拾え」と促された一人のメンバーが居た。
その娘は勉強会等で吉岡さんに悪態をついたり(かわいくだが・・・)する娘であったが、「ハイ!」と立ち上がり、裸足の足の裏を真黒にして無心でゴミを拾い始めた。
すぐ後ろにいた私は手伝おうと思うのだが真摯なその姿に圧倒されて手が出せない。
美しい!・・・神に使われる姿の美しさに感動していた。
その姿は神そのものだ、神はありとあらゆる方法でその存在を見せて下さっている。神はたった一人の「自分」と云う存在を通して、自分以外の他の全てを作りだしているのだ。だから、自分が見ている世界は全て神であり、自分で自分が見る世界を作っているのなら自分が全ての創造主であり=神なのだ。
神が神を求めるのはおかしなことで、神は自分の外には居ない・・・。
以来、その娘の見え方も一変した。
途中、素敵な喫茶店で一服。
場所を、長山港へ移す。
海中の「竜宮底神(りゅうぐうすくしん)」に祈りを捧げる。
祈りの後、吉岡さんに呼ばれ、「勝っちゃん、お前今、白い玉を頂いたの分かったか?」と聞かれる。
「分かりませんでした」 「まあいいや、なんであんたなのかは分からないけど明日からの御神事で役を与えるから頑張って」 「は?はい!」とは答えたものの・・・エッ、なにそれ~!
なにそれ~である。
元々の素質に訓練も積み神のメッセージを聞けるメンバーや、吉岡さんの様に神語ペラペラなら良いですけど・・・。
大変な事になって来た・・・。
今日初めてお知らせメールに気付き、一気に読ませていただきました。私にはよく解りませんが、何かすごいですね!!
返信削除引き続き楽しみにしています。
Sさん
返信削除よく解らないでしょ~。
これからもっと解らない話になって行きますが全て実体験なので懲りずに読んでみて下さい。