2012年11月26日月曜日

自然農法 2


自然農法の実践は、移転後の柏葉窯の整備が整い、余裕が出来たらと思っていたのだが、10月に趙 寿玉さんの公演の打合せで赴いた山梨で、古屋農園さんの関係者の方から下の写真の種を頂いた事から、自然農法の実践が急に動き出した・・・。

この種は自家採取した数種類の菜っ葉のものである。


世に出回る野菜の殆どは、「F1」と云う一代雑種の種を用いており(売られている種も100%近くがF1です)、命を繋ぐ力が無い事や、生体操作への危惧、アメリカの種支配の陰謀等々、様々な問題がある。(興味のある方は調べて見て下さい)


だから、自然農法は種も選ぶ!

・・・それは、在来種、もしくは固定種の種となる。

いざ実践ならばと、秋蒔きの種を入手した。

取寄せた種は全て固定種の種・・・




福岡正信氏の提唱した自然農法では、「粘土団子」と云うものがその実践に大きな役割を得ている。

多種類の種を粘土質の土と混ぜ、水を加えて団子状にし、乾燥後実践地にばらまくのである。

これには多数の利点と共に、難点もあるのだが、一度はやってみたい。

好光性の種(しゅ)はばら撒きし、嫌光性の種は粘土団子にした。

団子状にする前。多種類の種や山土を混ぜます。


自然農法とは、多種類の植物や菌根菌との共生関係により、植物(野菜)本来の力を引き出し、近代農法に勝る収穫量と、野菜本来の力が漲る立派な野菜を産みだす方法なのだ。

20代に近代農法の最先端を行く高原野菜の産地で栽培に従事した事があるが、それは本当にショッキングな現場であった。

土は痩せこけた赤土で、およそ植物がまともに育つ状態では無い。そこに畝を作りマルチを張って育てるが、土に力が無いので大量の化学肥料を撒く・・・。

屋外でやって居る水栽培なのだ。

そんな状態だから、当然、病気や虫の被害が大きいので、農薬を撒きまくる・・・。

周囲の雑草防除には平気で除草剤を使うし、最繁忙期とあれば散布したての農薬がたっぷり付いていようがお構い無しに出荷してしまう・・・・。(本当は、農薬散布から何日〈忘れた・・・〉以上の間隔が無いと出荷出来ない、と云う規定がある)

出荷を止めるように喧嘩腰に訴えても取り合わない・・・。

あぁ~~~~。

この悪循環・・・一度しか使えない種(F1)を売って、耕した大地で単一の種(しゅ)を作らせ、土中菌を単一化させ、化学肥料と農薬を売りさばき・・・・を好循環としている利権強奪者が居る訳で・・・・。

今の世では闇(裏)の力が強すぎて敵いませんが、本物の力はもっと強い事が事実となる日も近いと思います!


だからやるのです!

・・・粘土質は陶芸用の「木節粘土」を用い、菌根菌(植物と共生する菌類)を増やすため、裏山の土等を混ぜた。



水を入れながら調整中

適度な柔らかさになったら練って棒状にする。


棒状の粘土から少しづつ取り分けては団子状にして行く。





乾燥後蒔く・・・。


この斜面が実践地なのだが、冬場は家屋で日陰になり、殆ど日が当らない・・・。

さてどうなる事やら・・・。

2012年11月17日土曜日

自然農法 1



柏葉窯の移転計画には様々な想いがあったが、長年温め続けていた「自然農法」の実践と云う夢の実現も重要な要素の一つであった。


私の云う「自然農法」とは、名著・「わら一本の革命」で有名な、故・福岡正信氏の提唱したものである。

無農薬は当たり前のことだが、更に、肥料も与えず、耕さず(重要な事である)、雑草も抜かない・・・。(無肥料に関しては、有機肥料でさえ、場合によって発がん性物質の硝酸性窒素等を産みだします)

言うなれば「ほったらかし農法」なのだが、そこには長年農業に携わり、近代農法の悪弊を見抜き、清らかな目で眺め続けた自然から享受した、摂理に則る哲学がある。

大地を耕し、単一の作物を栽培する事はいかにも合理的のように見える。しかし、その成れの果てが自然破壊であり、地球の各所にある砂漠を産んだ。

植物の性質として群生と云う現象はあるが、大地に自然に生える植物が単一のものである事はありえない。また、多種類の植物が共生している場所で、病気や虫等による広範な被害があるのを見た事は無い。

森や山に関しても、宮脇 昭氏の云う「潜在自然植生」からすれば、里山の雑木林でさえ不自然な事なのだ。

まして、高度成長期に政府が励行した植林政策(原生林を伐採し、杉、檜等を植林させた)は、山を、川を、海を壊す結果となってしまった。


全ては循環している。自然に限らず、この世のありとあらゆるものは一なる全体の中で循環している。


子供の頃から自然を愛していた。青年期には地球の痛みを我が痛みの如く感じられ、もがいていた。原発や、環境問題の事ばかり考え、頭(知識)だけは大きくなったが、それを改善するのに必要な術も、実践的に行動する確信も持てず、単なる理窟屋に成り下がっている。


さて、どうしたら地球が救えるのだろう?


その自問自答は様々な次元での幾つもの答えを生みだした。そして、それが運動や技術ではない事だけは分かった。

私にとってのそれは、「祈り」の様な事かも知れない。

陶芸制作もそうだが、自然農法の実践に於ける、問いと結果からの学びが楽しみで仕方ない。


・・・つづく。

2012年11月11日日曜日

恵泉祭


恵泉女子大学の学祭に行って来ました。


先日、柏葉窯でライブを行った、タイ人音楽家=アドゥン・カナンシン

&玉子ちゃんを妻が発見!


これから馬に乗るんだそうです。