2010年10月29日金曜日

沖縄紀行 後記


神秘的世界の事を、皆様はどう捉えていらっしゃるでしょうか?


いかがわしさを感じたり、非現実的だとか思うでしょうか?


20世紀が生んだ、偉大な物理学者、アルバート・アインシュタインが残した言葉に、次の様なものがあります。


「科学を真剣に追求している者は、誰であっても、宇宙の法則の中に神の霊が顕在している事を確信するに至るのです。神の霊は、人間の霊をはるかに凌いでおり、神の霊を前に、人間は自らの力のささやかなる事を知り、謙虚にならざるを得ないのです。」


また、こうも云います。


「我々が経験し得る最も美しいものは神秘です。それは、全ての真の芸術と、真の科学の源なのです。」


アインシュタインをして、本質の追求の限界に至り、その先の神秘を謙虚に認めています。


精神世界へのアプローチの仕方は様々であり、中には、反社会的なカルトや、まやかしの宗教等もあるでしょう。それが、その世界に対する疑心暗鬼を生じさせ、抵抗感を抱く方も少なくないと思います。

しかし、自己の内奥から湧き出て止まない純粋な欲求に従い、真理、神秘の探究をする事は、この世に「命と云う神秘」を授かった者が、命への敬意からの行為として、実は非常に重要な事なのではないかと思います。


私は、自身に常に在るその欲求から、今回の旅で、琉球信仰と云う、スピリチュアリズムに焦点を当てました。


琉球信仰は、アニミズム(自然崇拝)と先祖崇拝を基にした、シャーマニズムであり、土俗信仰です。


残念なことに、土俗的であるが故の差別(現在でも、その意識で捉える方は少なくないと思う)や弾圧の歴史。また民衆の意識の現代化により、衰亡の危機にさらされています。


現在、お役目として、衰退を食い止めようとして下さっている地元の方々、ユタさん、琉球信仰の神職。また、琉球の神々をお守りする重要性を悟られ、その力と役目を持って奔走して下さっている外部の方も居られます。


そんな、外部の方のお一人に、「吉岡学先生」が居られます。先生は、生まれながらの霊媒体質で、現在はその特質を生かし、様々な霊的救済活動をされると共に、宮古諸島の竜宮神をまとめるお役目として、地元の神人(かみんちゅ)と協力し合い、積極的に神事をつかさどって居られます。


先生が、今回の私の琉球の聖域の訪ね方に、ありがたい御忠告を下さいました。先生の許可がございますので、頂いたメールをそのまま、以下に掲載させて頂きます。

お願いなのですが、宮古島や沖縄の御嶽に関しては、地元のユタか、神人(カミンチュ)以外に入る許可を出せる人はいません。

理由は地元の神様に許しを得て、御嶽に入る許可を得られる力を持った人は彼らだけだからです。

ですから神道の神職でも、仏教のお坊さんでも許可はおりません。

それほど厳しいところと知らずに入っている方が多いので、地元で神様を大切にする人たちには、マナーを知らないと問題になっています。

まずあなた自身も、許可を得ずに入ったところがあるのでしたら、土地の神社を通して、御嶽の神様にお詫びをして下さい。

必ず身体のどこかに何かが付いてきていますので、すぐに行って下さい。


・・・以上です。神を知る方からの心からの御忠告でした。


また、同様の事が、先生のブログにて詳細に述べられておりますのでご覧下さい。


吉岡学公式ブログより・・・神様の向き合い方


ブログの連載中にも何度か述べさせて頂きましたが、今回の旅で、自身の無知により、神聖を穢す行いがあった事を認識し、反省して居ります。

衰退が危惧されているとはいえ、宮古島には本土の感覚では測れない「生きた信仰心」がありました。

聖域があり、禁忌があり、そこに確かな神がある。

そんな島を旅し、僅かながらも神秘を感じる事が出来た事に深く感謝いたします。

2010年10月27日水曜日

沖縄紀行 17

 
伊良部島行きフェリー乗り場へ向かう。

突然、猛烈なスコールに会い徐行したため時間を取られたが、ぎりぎり間に合う。

お陰で、今日返す車がピカピカになった。

これも南国の風情だ。

フェリーで、およそ30分。伊良部島に到着。

野性的な島だ。



あまり時間が無いので、駆け足のドライブとなったが、次回の為の良い参考になった。

途中、妻が虹を発見。二重だ。


島の西隣、「下地島」を経由し、港へ戻る。

下地島には、国内唯一の「ジェットパイロットの訓練飛行場」があり、「タッチアンドゴー」の見学も出来ると云う。

マニア(群馬のT君等)にとっては、違う意味でここも聖地だ。


港近くで、また虹が・・・。

大きく、鮮やかで、なかなか消えない。


虹の根元・・・始めて見ました。



写真で見たら、この虹も二重であった。

虹のお見送りなんて、宮古島(伊良部も宮古島市です)は最後までありがたい。



最後の写真
 フェリーのデッキから、後にした伊良部島を妻が撮影すると、デジカメのバッテリーが切れる。

ほぼ同時に、私のハンディーカムのバッテリーも無くなった。

共に、予備は無い。なんと云う切の良さだろう。

この後は、車を返し、空港へ向かうだけ・・・旅の終りだ。


夢の中に居たような不思議な旅であった。

心も体も常に軽く、綿密な計画があった訳でもないのに、導かれるように滞りの無い場所の移動が出来た。

今までした旅の中で、ここほど居心地がよく、安心感のあるところは無かった。

この御縁を大切に、必ず再訪しよう。


宮古島の皆さま、神々様、ありがとうございました。

2010年10月26日火曜日

沖縄紀行 16


大神島行きを決め、フェリーの時間前に、ここも是非訪ねたかった、「福塩」の「大福製塩」を目指す。

福塩は、大神島の対岸にある「島尻」と云う場所で、十五夜の満月の夜の満潮の海水を汲み上げて作られる。

ミネラルを多分に含み、食用としてはもちろんのこと、浄化力の強さから、魔除、お守りとしての効果もある。

大神島行きのフェリーが出る、島尻漁港のすぐ近くに工場があった。

しかし、人の気配が無いので、電話で問い合わせると、今日、工場は稼働して居らず、元々本業としている石材店の方にお越しくださいとの事。

そこは、工場から南へ、5キロ強南下した場所であった。

福原石材さん
福原御夫婦にお会いでき、お話を伺った。

福塩造りは、奈良県のある修行僧が得た啓示を元に、福原氏が依頼されたのがきっかけだと云う。


これから、大神島へ赴く事を伝えると、フェリーの船長が友達だから、我々に、島を案内するよう電話して下さると云う。


恐縮しつつもお願いすると、電話を掛けてくれた。

電話で話されている言葉は、全く聞き取れない方言で、たまに、奥さんが通訳してくれる。我々には分かりやすく話してくれていたのだ。

話の結果、10月から、フェリーの運航時間が、秋時間に変わり、今日はもう出ないとの事。・・・電話して頂いて良かった。

「では、伊良部島へ行きなさい!」と、促される。伊良部島も大変な聖地である。・・・そうしよう!

残念だが、「大神島」は次回の楽しみに・・・。

宮古島の方々は、本当に温かく、親切で、皆が観光ガイドのように、飛行機やフェリーの発着時間等を把握されている。

突然の訪問に、親切なご対応。・・・お茶まで頂いてしまった。

ありがとうございます。


福塩はこちらで購入できます。→ 楽天市場

2010年10月24日日曜日

沖縄紀行 15


前日、ユタさんの事を伺う為、「海の幸」の若旦那に紹介頂いた、島の信仰に非常に明るいと云う「陶芸家」にお会いすべく電話を入れる。

対応した妻が、御先方は、「今、紹介するので、会いに来なくて良い」と仰ってるとの事。

我々の鑑定内容に適すると云う、お二人のユタさんを紹介して下さった。

早速、妻が電話をする。お二人目の方と繋がり予約が取れたとの事。

「場所は何処?」と聞くと、「クガイ、〇ー☓ー△」・・・?

「クガイ?」、ナビで検索しても、地図を見ても判らない。

「もう一度、良く聞いてみて」、と促すが、「対応が怖いので、嫌だ」と云う。(その理由は後に判明)

宿で、地元のダイバーの方に尋ねると、「クガイ」とは、この辺りの事だと云う。
良く調べると、宿の住所は、宮古島市平良(ひらら)字久貝・・・なるほどクガイだ。

歩いて行けるほど近かった。

この旅で、何となく、「ペンション・ムー」に決めた事、そこで紹介された、「海の幸」から、ユタさんまで、自然に御縁が繋がって行った。・・・「お陰の神様」の粋な計らいである。

当日、11時、ユタさん宅を訪問。(お名前や、場所は明かせません)

ユタさんが奥儀によって開いて下さる帳簿(当家の霊的系譜図面)の為に必要な情報を伝え、鑑定が始まる。

大きな祭壇に向かい、呪文を唱え、御挨拶の唄。そして、神降しが始まる。

一時間以上に及んだ鑑定で、妻しか知らない神社の特定や、現在の状況に見事に適合した様々なメッセージが届く。

そして、本来ユタさんが執り行う、ある儀式の作法を、「東京には行けないから自分たちでやりなさい」と、伝授頂く。

難しいのだが、間違ってはいけないと、妻と二人、何度も聞き返しながらメモを取る。

その儀式に必要なのが、先に紹介した、「御線香と、うちがみ」だ。

後半、談笑交じりの会話で伺ったのが、最近、本土から「あのぉ~、ちょっと占って欲しいんですけど~」と云ったような、軽々しい問い合わせが多く、殆ど断っているとの事。妻が、「電話の対応が怖い」と云ったのはそのためだ。

テレビ出演してしまった事の影響も多いと、悔いていた。

我々は、地元の方の紹介もあり、運良くお会いできたようだ。

最後に、ずっと迷っていた、神の島、「大神島」行きについてお尋ねした。

大神島は島全体が聖域と云っても良く、場所によっては、撮影や近付いてもいけない所がある。島から、木の葉一枚、石ころ一つ持ち出してもいけないと云う。

ユタさんは、「今朝、大神島のおねえ(ユタのお仲間か)達がここへ来ていて、今日のマツリ(祭祀)は終わったって云ってたから、行っても大丈夫よ。」って仰ってくれた。

「何処で、どちらを向きお参りしなさい。」「何処そこへは入っちゃ駄目。」等々教えてくれた。

ありがとうございます。

素敵なユタさんでした。再訪の折には是非この方に、聖地をご案内頂こう。

2010年10月23日土曜日

沖縄紀行 14


宮古島最後の日、先ずは、首里王府公認の御嶽で、宮古創生神話の神々が祀られている、「漲水御嶽」(はりみずうたき)を参拝。

拝所では、ユタによる祈祷が正に執り行われていた。

夜籠りなのであろうか、沢山の荷物を運び入れている。

呪文の様な祈り言葉が響く・・・。



門前から続く、18世紀初頭のものとされる「石畳」を登る。

草取りをする地元の方々と談笑していると、「どうぞ、宮古神社を参拝下さい」と促される。

その石畳の先、海を見下ろす高台に宮古神社があるのだ。


宮古神社は、本年六月、当地に遷座されたばかりで、木の香も清々しい。

神社本庁に加盟する、宮古島唯一の神社である。(他にも、神社と名の付くところはあるが、御嶽である。)


本土同様の神社である宮古神社や、漲水御嶽の様に、部外者にも開かれた場所への参拝は別として、島の御嶽は地元の方々が大切にお守りする聖域であり、むやみに立ち入ってはならない

私自身、出立前に、気軽に御嶽巡りをしているブログ(結構多い)等を参考に、正に、むやみに立ち入ってしまったが、帰京後に詳しく学んで行く中で、自身の行動にも反省点が多い事を自覚した。

地元の方にも、「感謝してお参りすれば良いのよ」等と、優しく云われ、本土の神社感覚で、気軽(敬虔なつもりではあるが)にお参りしてしまったが、御嶽は本来「男子禁制」であり、その意味でも場を穢してしまった可能性もある。再訪の折は、ユタ等、琉球信仰の神職の同行の元、神のお許しを得てお参りします。

今後、琉球の聖地をお訪ねになる方は是非、事前によく下調べをし、禁忌を犯さぬ御配慮を下さい。良く分からない場合は立ち入らぬようお願いします。

2010年10月22日金曜日

沖縄紀行 13


宮古島最後の夜、島の中心部、「西里大道り」にある、琉球居酒屋「さんご家」さんで夕食を。




私が旅に於いて第一に興味があるのは、その地の人間、及び人間生活である。

名所、旧跡等には、実は殆ど興味が無い。(行けば楽しいのですが、事前には全く興味がわかないのです。)

以前訪れた、スペインのグラナダでも、行って初めて、そこに「アルハンブラ宮殿」があるのを知った位だ。

この旅でも、島の方々とのふれあいを敢えて求めた。

居酒屋・島酒・沢山の酔っ払い・・・血が騒ぐ!

島の、大きな居酒屋であるここで飲んでみると、そのエネルギーの強さに圧倒される。東京には今このエネルギーは無い。とても明るく大らかなエネルギーだ。

その店内で、最もエネルギッシュな集団の座敷に、酒を携え突撃した。

歓待され、宮古島独特の「お通り」と云う、回し飲みで盛り上がる。

「お通り詳細」・・・http://www.minamihe.com/okinawa/okinawa1040.html

酒があまり強くない妻には決して強要しない・・・優しい!


宮古島郵便局の皆さんだった。

一瞬が輝く!

2010年10月21日木曜日

沖縄紀行 12


新城邸のはす向かいにあった、「宇宙商店ウルル」さんに立ち寄る。


店内では、ヒーリンググッズ、ロハス、エコ的な雑貨を販売。

御主人は、スピリチュアリズムに造詣が深い。


屋外のカフェコーナーでは、飲み物でくつろげる。

妻は、特製グアバジュース(バナナ、ミルクと共に調整したシェークです)。


私は、ヒーリングティーで一服。



御主人は、98年に、大阪から移住され、御家族4人とスローライフを送って居られます。

御主人も、我々も、近江地方の奥深い山中にあるマイナーな聖地を、共に訪れて居たりした事等で話が弾んだ。


帰京後、ウルルさんを検索してみると、我々の来訪を掲載して下さっていました。(記事名・秋の使者)


ありがとうございます。また伺いますね!


・・・沖縄紀行 6と、8の補足です。

(6)の石碑に居た「ヤドカリ」ですが、現地では、「ミガンサ」と呼ばれるもので、神の使いとされ、間違っても、踏んだり、蹴ったり等してはいけないとされているようです。

(8)の「燻り臭さの謎」については、「線香」、「うちがみ」のほか、線香に火を付けるための、「ウマッタイ」と云う、乾燥した茅の束を燃やしたり、夜籠の儀式の際、一晩中、お茶を沸かすために焚く薪の煙の影響もあるようです。

2010年10月19日火曜日

沖縄紀行 11


宮古島での、最大の目的地、それは、「新城定吉翁」のお宅である。

大正10年生まれのその聖者は、天啓に導かれるまま、巨岩(サンゴの化石)を掘り起こし石庭とし、また、地中深く穴を掘り、聖地を造り続けている。

そして、一人、祈り続ける。

画面中央部に石庭の入り口がある

この旅の出立前と、伺う直前にお電話を入れ、拝見の許可を頂いた。



この地は新城家の庭であるが、明治30年頃、天上界より御降臨された、「天神様」の啓示により、拝所が定められた御嶽であった。

その後、本島への移転により、誰からも拝礼される事が無くなり、廃れてしまったものを、定吉翁が再興した。

 入口近くの拝所


「石庭」と云われているが、庭を造ると云う目的で造られたものではなく(私の解釈ですが・・・)、ただ、導かれるままに巨岩を掘り起こし、あるべき位置に設置されているもので、必然の結果として生まれた、ある種、完璧な形である。

芸術は、常に自然(アニミズム的には、神である)を師とし、近付こうとするが、近付けても、決してそれを超える事は無い。近付けた度合いが芸術の真価の基準だとも云える。

そして、この形には、極限までそれに近付き、同等に響きあった調和を感じる。


石庭内には、幾つかのサークルがあり、裸足で入場する。


掘り起こされ、設置された巨岩の幾つかは、長く厳しい作業の折々に啓示を与えてくれたものだ。

↓ 「すべてのお祈りを まとめ通して下さる岩」


陰か陽(記憶が無く・・・)どちらかの穴。


宇宙に繋がる穴 


大地から湧き上がるエネルギーをたっぷり浴びた後、お宅の方へ伺う。

石庭内の岩は、それ自体が熱を発しているかのように熱かった。高いエネルギー空間に居たせいか、体が火照る様に熱く汗が止まらない。頭もぼーっとしている。

電話の応対をして下さった、ここで「気」を学んでいると云う女性に招かれ、掘り起こされた沢山の化石が展示されている部屋でお話を伺う。

その内の一つの化石で、石のエネルギーを体感させて頂いた。上下に向き合わせた手の間で、その手や化石を動かすと、動きの通りに、もわんとした強いエネルギーをはっきり感じる。

女性が、定吉翁をお連れ下さり、お話が出来た。

島の成り立ちや、様々な貴重なお話を長時間して下さった。

・・・庭で採れた、「釈迦頭」と云う果物をご馳走になる。






 パワースポットブームの昨今だが、それらの殆どが、「天から降りるパワー」であるのに対し、この石庭は、大地から湧き上がる「上昇エネルギー」のパワースポットとして、世界中のスピリチュアリストから注目されていると云う。そして、その様なエネルギーのパワースポットは、地上にはここにしかないと云う。  注・定吉翁の言葉ではありません)


言葉で説明は出来ないが、とにかく凄い!

また必ず、再訪しよう。

この石庭については、「吉岡学先生」による、以下のサイトにて詳細に述べられております。


2010年10月17日日曜日

沖縄紀行 10


上比屋山遺跡から、「東平安名崎(ひがしへんなざき)」を経由。

「新城(あらぐすく)海岸」で、海水浴を。




新城海岸・・・ここは、沖縄通の、教室の「Aさん」お薦めの海岸だ。


最高でした!「Aさん」ありがとうございます。


シュノーケリングで、熱帯魚達と戯れ、時を忘れる。


人気もまばらな「新城海岸」の清らかな海水で全身を清め、いよいよ、この島での最大の目的地へ向かう。

その前に、通りすがりのレストランで、ランチタイム。

「キッチンみはら」さんの、オムライスとハンバーグ。http://miyacojima.jp/gourmet/insyoku/3836/ http://www2.miyako-ma.jp/yukiko/










優しい、これも島の味です。

2010年10月16日土曜日

沖縄紀行 9

島の南東端、「東平安名崎・ひがしへんなざき」を目指しつつ、南部の御嶽を巡る。



街道沿いの、サトウキビ畑。風にそよぐ葉音が心地よい。



通りがかりの「赤名宮・あかなぐう」

商売の神でもある。



この先、「友利のあま井」と云う御嶽を探すのだが中々見つからない。

サイクリング中のおじさんに聞いてみると、「あま井ってこの字?これは、()じゃなくて、(かー)って読むんだよ、かーとか、がーってね。大和井(やまとがー)とかさ。」って。・・・島の方々はとにかく親切だ、何処で、誰に話しかけても、丁寧に対応してくれる。車中で地図を開いていただけで、通りすがりのトラクターから「どこを探してるんだい」なんて声を掛けてきてくれたりもする。

ただ、こと御嶽に関しては、地元の方に聞いても要領を得ない事が多かった。通称が違ったりするのだろうか?

この「あま井」もそうで、何人かの方に尋ねたのだが、ついにたどり着けなかった。

サイクリング中のおじさんは、新しく事業を始めるので、自転車で島を一周し、エネルギーを発散しているのだと云う。・・・面白い! 頂くのではなく、出すのか・・・。綺麗な目をしていた。

辿り着けないのは御縁が無いからだ、と簡単に諦め、車を走らせていると、御嶽があった。名称の写真を撮って置いたのだが、光っていて読み取れなかった。



この細い山道を分け入って行く。



最初の拝所から、奥にもう一つ見える。



その御嶽のすぐ先にあった、「上比屋山(ウィビャヤマ)遺跡」

http://www5.ocn.ne.jp/~umasijin/gusuku7/wipper.htm

後に知るのだが、この遺跡のふもとに、「友利のあま井」があるのだそうだ。「あま井」を探したお陰でここに来られた。

右手の山道を登って行く。

 ・


8箇所の御嶽(地元ではムトゥと云う)が点在する。


遺跡ではあるが、実際の聖地であり、現在も、祭祀が行われているようだ。


ある方のブログにも書かれていたが、御嶽には何故か蝶が多い。

神のお使いかも知れない。