2010年10月11日月曜日

沖縄紀行 5


本島を後にし、妻と二人、空路、宮古島に赴く。

上空より・・・何島だろう?



空港で車を借り、先ずは昼食を・・・。

レンタカー屋さんのお兄さんに紹介頂いた、「大和食堂」へ。

老夫婦が営むその店の味は、骨格がしっかりしており、「沖縄そば」などは、それまで食した中で最高であった・・・地元民の紹介だけの事はある。










宮古島行きは、当初、目的があった訳では無かったのだが、東京を発つ直前に会った友達との会話によって、そこへ行く事が大きな意味を持つことになった。

私のライフワークの主要なテーマの一つに、「精神世界の探究」がある。自己や、時空の本質を、言葉や、思考と云った、「過去の蓄積によるもの」によって定義付けせずに見極め、実感したいと云う思いである。

それについては、様々なアプローチで継続的に探究を続けており、多くの友人たちがその同志である。

東京を発つ前に会った友人もその一人で、その日は、「レムリア・ムー・アトランティス」等、伝説の古代文明の話になった。私も、友人も、それらが、「伝説」だとは思っていない。そして、宮古島は、ムー大陸(もっと前があるそうだが・・・)を起源とする「神の島」だと云う。

そして、以前、自身も何かの本で読んで記憶の片隅にあった、宮古島で、一人祈り続ける、「大正生まれのある聖者」を是非訪ねるべきだと云う事になったのだ。

旅立ちまで時間が無かったのだが、宮古島での二泊三日には充分であろう情報を携えて赴いたその旅は、正に聖地巡礼となったのだ。(宮古島が二泊三日程度で解ろうはずも無かったが・・・)

ところで、沖縄全土には、「御嶽(うたき)」と云う、琉球信仰の聖地が無数にある。宮古島だけでも千を超えるらしい。そこでは、祭祀が執り行われ、神降しや、先祖との交信等、シャーマニズム的儀式の場となっている。(三山時代は、男子禁制であった)

下の写真は、空港にほど近い「アッママ御嶽」と云うところ。鳥居があるが、本来的なものではなく、維新以降の「皇民化政策」によるものだと云う。

本島では、戦後、鳥居が撤去された御嶽も多いらしいが、宮古島の御嶽には、今尚その殆どに残されたままだと云う。・・・琉球王朝による、「抑圧と差別」への反発であったらしい。

この後、幾つかの御嶽を訪ねるのだが、その全てに何かを燃やした形跡(何であるかは後に判明)と燻り臭さがある。現在も生きて使われている証しだ。


到着早々だが、一路北の果て、「池間島」へ向かう。


藤原新也を想いつつ、「南島街道」をひた走る。


一面のサトウキビ畑。


池間大橋を渡ると池間島だ。そこには「大主神社」がある。

多少の予備知識を持って行って良かったが、そこは正に「聖域」であった・・・。

0 件のコメント:

コメントを投稿