2012年11月17日土曜日

自然農法 1



柏葉窯の移転計画には様々な想いがあったが、長年温め続けていた「自然農法」の実践と云う夢の実現も重要な要素の一つであった。


私の云う「自然農法」とは、名著・「わら一本の革命」で有名な、故・福岡正信氏の提唱したものである。

無農薬は当たり前のことだが、更に、肥料も与えず、耕さず(重要な事である)、雑草も抜かない・・・。(無肥料に関しては、有機肥料でさえ、場合によって発がん性物質の硝酸性窒素等を産みだします)

言うなれば「ほったらかし農法」なのだが、そこには長年農業に携わり、近代農法の悪弊を見抜き、清らかな目で眺め続けた自然から享受した、摂理に則る哲学がある。

大地を耕し、単一の作物を栽培する事はいかにも合理的のように見える。しかし、その成れの果てが自然破壊であり、地球の各所にある砂漠を産んだ。

植物の性質として群生と云う現象はあるが、大地に自然に生える植物が単一のものである事はありえない。また、多種類の植物が共生している場所で、病気や虫等による広範な被害があるのを見た事は無い。

森や山に関しても、宮脇 昭氏の云う「潜在自然植生」からすれば、里山の雑木林でさえ不自然な事なのだ。

まして、高度成長期に政府が励行した植林政策(原生林を伐採し、杉、檜等を植林させた)は、山を、川を、海を壊す結果となってしまった。


全ては循環している。自然に限らず、この世のありとあらゆるものは一なる全体の中で循環している。


子供の頃から自然を愛していた。青年期には地球の痛みを我が痛みの如く感じられ、もがいていた。原発や、環境問題の事ばかり考え、頭(知識)だけは大きくなったが、それを改善するのに必要な術も、実践的に行動する確信も持てず、単なる理窟屋に成り下がっている。


さて、どうしたら地球が救えるのだろう?


その自問自答は様々な次元での幾つもの答えを生みだした。そして、それが運動や技術ではない事だけは分かった。

私にとってのそれは、「祈り」の様な事かも知れない。

陶芸制作もそうだが、自然農法の実践に於ける、問いと結果からの学びが楽しみで仕方ない。


・・・つづく。

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