2010年10月16日土曜日

沖縄紀行 9

島の南東端、「東平安名崎・ひがしへんなざき」を目指しつつ、南部の御嶽を巡る。



街道沿いの、サトウキビ畑。風にそよぐ葉音が心地よい。



通りがかりの「赤名宮・あかなぐう」

商売の神でもある。



この先、「友利のあま井」と云う御嶽を探すのだが中々見つからない。

サイクリング中のおじさんに聞いてみると、「あま井ってこの字?これは、()じゃなくて、(かー)って読むんだよ、かーとか、がーってね。大和井(やまとがー)とかさ。」って。・・・島の方々はとにかく親切だ、何処で、誰に話しかけても、丁寧に対応してくれる。車中で地図を開いていただけで、通りすがりのトラクターから「どこを探してるんだい」なんて声を掛けてきてくれたりもする。

ただ、こと御嶽に関しては、地元の方に聞いても要領を得ない事が多かった。通称が違ったりするのだろうか?

この「あま井」もそうで、何人かの方に尋ねたのだが、ついにたどり着けなかった。

サイクリング中のおじさんは、新しく事業を始めるので、自転車で島を一周し、エネルギーを発散しているのだと云う。・・・面白い! 頂くのではなく、出すのか・・・。綺麗な目をしていた。

辿り着けないのは御縁が無いからだ、と簡単に諦め、車を走らせていると、御嶽があった。名称の写真を撮って置いたのだが、光っていて読み取れなかった。



この細い山道を分け入って行く。



最初の拝所から、奥にもう一つ見える。



その御嶽のすぐ先にあった、「上比屋山(ウィビャヤマ)遺跡」

http://www5.ocn.ne.jp/~umasijin/gusuku7/wipper.htm

後に知るのだが、この遺跡のふもとに、「友利のあま井」があるのだそうだ。「あま井」を探したお陰でここに来られた。

右手の山道を登って行く。

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8箇所の御嶽(地元ではムトゥと云う)が点在する。


遺跡ではあるが、実際の聖地であり、現在も、祭祀が行われているようだ。


ある方のブログにも書かれていたが、御嶽には何故か蝶が多い。

神のお使いかも知れない。

2010年10月14日木曜日

沖縄紀行 8


海の幸」の、お母さんと若旦那。




ここのお母さんに、「御嶽」の事を聞いてみた。


「燻り臭さ」と、「何かを燃やした形跡」の謎が解けた。

御嶽にて、祭祀や、個人が拝む場合、独特の線香と共に、神様や、御先祖様へお金を焼いて送るのだそうだ。・・・ユタさん(琉球信仰の巫女)等の霊媒を介して執り行われる儀式である。


お金と云っても、銀行紙幣では無く、専用に作られているもので、通称「うちがみ」と云うらしい。スーパーやコンビニで容易に購入出来ると云う。


上の写真は、後にそれらが必要となり、伊良部島のスーパーで買ったもの。


「うちがみ」は一束20枚で、一枚ずつ、燃えやすいように開いて焚いて行く。
御線香は、6本がひと綴りの板状になって居り、2枚ワンセットで焚く。


ここのお母さんは、その手の話にとても詳しく、色々と教えてくれた。・・・この島では、極自然な事なのかも知れない。

そして、この旅の大きな目的の一つとしていた、「ユタさん」にお会いしたい事を尋ねると、信頼が置けると云う、お二方をご紹介下さると共に、「その事について非常に詳しい方が居るので、その方に尋ねてみては」、とある方を紹介して下さった。・・・陶芸家であった・・・。

トップの写真の壁にかかっている「島バナナ」を頂き、宿へ戻った。

この島の温かさ、美しさ、神々しさがじんわりと心を満たして行く・・・。

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明日は、島の南部を巡ろう!

2010年10月13日水曜日

沖縄紀行 7


池間島を後に宿泊先のペンションへ向かう。

・・・その名も「ペンション・ムー

この宿は、何となく宮古島行きを決め(当初、島ならどこでも良いと思っていた)、何となく、友達に「むー(と云うあだ名の子)」も居るし、良いんじゃない!って位の軽いノリで決めた。

しかしこの決定が、後に大きな御縁に繋がるのだった。

ムー大陸と、宮古島の関係性については、元々知っていたし、20年ほど前に、「ムーの意識と繋がる瞑想」と云うのをして、その時頂いた、宮古島の「ムー石」と云われる石を、以来ペットボトルの水に入れてずっと飲んだりもしていた。

ただ、今回は、移転計画の疲労の所為か、折角宮古島へ行くのに、そう云った事を何も考えずに、「ただ行く事」だけを決めたのだった。

直前に会えた友人のお陰で、この旅が意味あるものとなった。「ムー大陸」 「ペンション・ムー」そして、その友達のニックネームは、「ムーミン」・・・ムーの民? シンクロニシティーか、こじつけか・・・?

7時をまわった頃、宿に着いた。到着早々、内容の濃い一日だった。

 ↓ 部屋からの眺め。


持ち込んだウイスキーで気分をダウンさせながら、ガイドブックで、夕食の店探し・・・。

地魚を頂きたかったので幾つかの候補を挙げ、一応宿の方に意見を伺う。

候補外であった、「海の幸」と云う鮮魚料理店を強く勧められる。

「自分で決めない」と云うのは御縁に繋がる方法の一つなので、そこに決める。

歩ける距離だったので、夜風に当たりながら店を訪ねる。

そこは、小泉前首相や、朝青竜、白鵬。その他多くの著名人が訪れたと云う。

沖縄ではあるが、魚介となると日本酒を呑みたくなる。・・・良いのがありました。

シャコ貝でスタート。・・・う、美味い!・・・&運良く、肝付き!

フエフキ鯛


活ガザミの塩茹で。


お造りの「アラ」が勿体ないねって話していたら、味噌汁にしてくれました。


お客さんが退けてきたので、お店の方とお話を・・・。


これが、御縁の連鎖に繋がって行くのだった。

2010年10月12日火曜日

沖縄紀行 6


宮古・池間島の「大主神社」・・・ここは、宮古島の御嶽の最高霊格とされ、「ウハルズ」「ナナムイ御嶽」など、呼び名は色々ある。

場所を探して地元の方に尋ねると、最初、あまり教えたがらない様子であった。

そして、中には立ち入れないので、自治会の人に尋ねてみよと言われた。

ざっと聞いた道順であったが、車はいきなり、大主神社の門前に着いてしまう。・・・普通車一台が、道の両脇に繁茂する草木に擦られながらやっと通れるほどの小路である。

鳥居脇に、「関係者以外の立ち入りを固く禁ず」と云った立て札がある。

途中で見かけた公民館?に引き返し、屯(たむろ)していたおじさんたちに、立ち入りの可否を尋ねた。

皆一様に「とんでもないことだ!」と云う。「入ったら縛られるぞ!」っと、手首に縄を掛けられるポーズを取った。・・・この旅で、大らかな「しまんちゅ」から受けた唯一の厳格な対応であった。

・・・嬉しかった!・・・生きている畏敬の念。・・・ならばこそ存在する神である。


もう一度引き返し、門前で参拝。この場を離れた。

少なからず事前認識はあったのだが、ここまで厳格なものだとは思っていなかった。後に調べてみると、通常、神職や、「ツカサマンマ」「ツカサンマ」と云う御嶽をお守りする役目の女性と同行する以外、地元民でも、「ある特定の日」にしか入れないと云う。

また、誤って入ってしまい、不幸にあった旅行者等が実際に居るらしい。

戒めの寓話かも知れないが、聖域とはそうして守られるものであろうし、個人の畏れの意識の中に神は宿るのかも知れない。

穏やかで、緩やかな、この南の島の居心地に相反する厳かさに触れ、意識が混濁しそうである。

・・

ここはとにかく一休み。


通りがかりのギリシャレストラン「タソス」でお茶を・・・。






帰りの池間大橋で拝む神の島、「大神島」

ペンションに向かう途中の御嶽。ここも「大主神社」と云う。


宮古島で尋ねた多くの御嶽には、神が御降臨する石碑とその手前に拝所がある。

ここの石碑には何故かそこにだけ(写真の、私の頭の右の所)、沢山のヤドカリが居た。

帰って食事でもしようか・・・。

2010年10月11日月曜日

沖縄紀行 5


本島を後にし、妻と二人、空路、宮古島に赴く。

上空より・・・何島だろう?



空港で車を借り、先ずは昼食を・・・。

レンタカー屋さんのお兄さんに紹介頂いた、「大和食堂」へ。

老夫婦が営むその店の味は、骨格がしっかりしており、「沖縄そば」などは、それまで食した中で最高であった・・・地元民の紹介だけの事はある。










宮古島行きは、当初、目的があった訳では無かったのだが、東京を発つ直前に会った友達との会話によって、そこへ行く事が大きな意味を持つことになった。

私のライフワークの主要なテーマの一つに、「精神世界の探究」がある。自己や、時空の本質を、言葉や、思考と云った、「過去の蓄積によるもの」によって定義付けせずに見極め、実感したいと云う思いである。

それについては、様々なアプローチで継続的に探究を続けており、多くの友人たちがその同志である。

東京を発つ前に会った友人もその一人で、その日は、「レムリア・ムー・アトランティス」等、伝説の古代文明の話になった。私も、友人も、それらが、「伝説」だとは思っていない。そして、宮古島は、ムー大陸(もっと前があるそうだが・・・)を起源とする「神の島」だと云う。

そして、以前、自身も何かの本で読んで記憶の片隅にあった、宮古島で、一人祈り続ける、「大正生まれのある聖者」を是非訪ねるべきだと云う事になったのだ。

旅立ちまで時間が無かったのだが、宮古島での二泊三日には充分であろう情報を携えて赴いたその旅は、正に聖地巡礼となったのだ。(宮古島が二泊三日程度で解ろうはずも無かったが・・・)

ところで、沖縄全土には、「御嶽(うたき)」と云う、琉球信仰の聖地が無数にある。宮古島だけでも千を超えるらしい。そこでは、祭祀が執り行われ、神降しや、先祖との交信等、シャーマニズム的儀式の場となっている。(三山時代は、男子禁制であった)

下の写真は、空港にほど近い「アッママ御嶽」と云うところ。鳥居があるが、本来的なものではなく、維新以降の「皇民化政策」によるものだと云う。

本島では、戦後、鳥居が撤去された御嶽も多いらしいが、宮古島の御嶽には、今尚その殆どに残されたままだと云う。・・・琉球王朝による、「抑圧と差別」への反発であったらしい。

この後、幾つかの御嶽を訪ねるのだが、その全てに何かを燃やした形跡(何であるかは後に判明)と燻り臭さがある。現在も生きて使われている証しだ。


到着早々だが、一路北の果て、「池間島」へ向かう。


藤原新也を想いつつ、「南島街道」をひた走る。


一面のサトウキビ畑。


池間大橋を渡ると池間島だ。そこには「大主神社」がある。

多少の予備知識を持って行って良かったが、そこは正に「聖域」であった・・・。

2010年10月10日日曜日

沖縄紀行 4


今帰仁城(なきじんじょう)は、14世紀の、琉球王国三山時代、北山王(ほくざんおう)の居城であったと云う。


標高100メートルに位置し、堅牢な城壁に囲まれて居り、防衛に優れている。

朝から良く歩いたのだが不思議と疲れが無い。

しかし、もう6時近い、そろそろ夕食へ・・・。


今帰仁城跡を後にし、名護にある義弟の勤め先の、名桜大学を経由。

義父の車は、真っ暗な山道を分け入って行く。

到着したのは、アグーと沖縄料理の店、「大家」(うふやー)だ。http://www.ufuya.com/shop/index.html

野趣に富んだ佇まいの落ち着いた空間である。


待ってました!


やんばる島豚(アグー豚)のしゃぶしゃぶコース。


ロース・バラ肉・コラーゲンボール・・・絶品!!!


油が全く気になりません。

最後は、うどんを煮込んで〆。

お義父さん、ご馳走様でした。

明日からは、妻と二人、宮古島へ向かいます。

2010年10月8日金曜日

沖縄紀行 3


柏葉窯の移転計画でお世話になっている、造園土木会社の方が建築に係わったと云う、公園内の「熱帯ドリームセンター」。


全体が、アルハンブラ宮殿を模した様な作りとなって居り、テーマごとに上手くパート分けされた展示をめぐるのだが、優に一時間は掛かるほど広い。


ベンガルヤハズカズラの花。


常時、2000株以上のランが展示されて居ると云う。

水族館の方はとても賑わっていたが、ここは我々以外誰も居ない。凄く良いのに・・・。


コイの餌やりで休憩。







観覧の途中にある、高さ36メートルの「遠見台」からの眺め。


子供が乗れる、「オオオニバス」。


この後は、世界遺産、「今帰仁城跡」へ向かいます。