2011年6月9日木曜日

宮古島 祈りの旅 神と出会うまで 8

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明けて19日。

その日は大神島での「天岩戸陰陽神事(天岩戸開き)」。

続いて、世界で唯一、地球の内奥から突き上げる、上昇エネルギーのパワースポット、「新城定吉翁の石庭」への訪問がある。


この旅で、意識が開かぬ苛立ちと、御神事でのお役目が迫る焦りのため、朝からお酒を飲んでしまう。

私は酒好きだが普段昼間に飲む事は無い。

この日も朝から口にするが、緊張が上回っているのだろう、全く酔わない。

その後、「酒を飲まないと出来なくなるぞ」、とたしなめられ飲まなくなった。


朝食後、少しだけ空いた時間に近くのビーチへ連れて行ってくれた。



宮古島で一番綺麗と云われる、「砂山ビーチ」だ。

宮古島は川が無いため、水が海に流れ込まず何処も綺麗なのだがここもまた格別である。


ふと後ろを振り返る。・・・浜辺の高台で吉岡さんが瞑想をしていた。

その姿を眺めていると、「この前に座れ!」と手招きされ、私も吉岡さんの2メートル程前に座ってみる。

さざなみと、そよ風、温かい朝の陽ざしに身を任せていると吉岡さんが神言葉の不思議な唄を口ずさむ。

その時空間と一体になっていた私は、気付くと自他の境界が何も無く、宇宙空間に漂うようにそこにあった。

そして吉岡さんの唄が自分の中で聴こえる。・・・不思議な感覚だ。全ての事が自分の中にある。

そよ風や、さざなみや、唄と云う音も。光も、景色も。香りも、人や小鳥の存在感も。全てが自分の中にあるのだ。

そこは、優しく、温かく、全てが調和し、愛に満ち溢れている。

無境界!それは、愛の意味、神の意味の一つであろう。




祈らずにはいられない・・・!

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2011年6月6日月曜日

宮古島 祈りの旅 神と出会うまで 7

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八重干瀬を後に今日からの宿泊先である宮古島市内のコンドミニアムへ。

素敵な家を丸ごと貸切である。


夕方は書店での吉岡さんの講演会。

地元の方々が熱心に傾聴。ちょっとした個人カウンセリングもあった。


夜は、吉岡さんの知人が経営する居酒屋で宴会。


宿舎に戻り、更に夜の勉強会。

その時間はお酒も入り、リラックスモードで雑談をする。
開放度が上がる分、本音の話や、深いところの話にもなりまた有意義なのだ。

話の頃合いを見計らっては吉岡さんが学びのヒントを与える。

途中、何かのテーマで各人に発言を促されるが、私はこの時、「変性意識状態」(トランス)に入っていた。

身体的自己感覚が薄れ、意識のみが際立って明晰な感じだ。

この状態になったのはお酒によるリラックス効果もあるかもしれないが、お酒を飲んだからと云って普通になるものではない。私にとっても初めての体験である。

そして、以降、昼夜を問わず度々トランスするようになっていた。


発言が自分の番に回るが全く声が出せない。

心の中では話せるので、「吉岡さん、声が出せません。この状態で会話して下さい!」・・・とお願いしてみた。

すると即座に「分かった!」と返事。皆に、「勝っちゃんは今、深い瞑想状態に入っている」と告げ、更に、「じゃあ、こちらから聞くから返事だけして」と伝えられる。

心の中で「ハイ!」と答えた私に、「明日の御神事で重要な役目をしてもらうが、心を決めてやるか!?」・・・と聞いてくれ、「ハイ!」とだけ答える。

しかし、これは大変な決断をせまられる問いで、何も分からない私が、神事(かみごと)の世界にデビューする事なのだ。(既に参加はしているが・・・。)

しかも、「明日の御神事」と云うのは、地元の神人(かみんちゅ)でさえ容易に足を踏み入れない、畏れ多き神の島、「大神島」での御神事なのだ。

そこは宮古島の全ての神々を統合し、天照大御神の降臨伝説が残る聖地中の聖地だ。

何故か私は「大神島」に特別な思いがある。とにかく魅かれてやまない強烈な片想いの様な憧れがその島にある。

この旅の事前、敢えて吉岡さんに、「今回、大神島へは行きますか?」と尋ねた程、実は何処よりもそこへ行きたかったのだ。

恋焦がれるその島で間違いは許されない・・・!


常々吉岡さんや、その世界の先輩たちに、いくら精神世界の勉強を続けても肝心の意識覚醒、神意識の知覚が起こらない悩みを打ち明けていた。

吉岡さんにはかなり以前、「八重干瀬で開く」とか云われていたがそんなことも忘れていた。

意識覚醒なくして御神事になど携われないと思っている。


「ハイ!」とは答えたものの、不安で一杯の私を察し、吉岡さんが優しく続ける。

「もうあなたはさんざん修行して来た。もう何も学ばなくて良い。何も見えず、何も聞こえなくて良い。ただ楽に、ありのままの素直な自分でいてごらん。」・・・・・・涙があふれ、止まらない。


私は10代の頃から精神世界の探究をして来たが、何か一つの事をやり続けた訳ではない。常に全体を眺めて色々なものを試したり、聞きかじったり、色んな方々にお会いしたりしていただけで、ある種、趣味の様なものだったのである。

なので自分としては修行したと云う感覚は全く無かった。それをそう言ってもらえた事は、無駄にも思える過去の全てを肯定してもらえた事なのだ。

山の頂を目指すのに、地図を持って進むのか、感覚だけを頼りに進むのかの違いかも知れない。


最後に、「神に命を捧げます!」と宣言。ほどなく会はお開きとなる。


部屋に戻りウィスキーで高ぶる気持ちを鎮めてゆくと矢張り不安が心を支配して行く。


時は深夜、お疲れであろう事は承知の上で、階上の吉岡さんの部屋をノックしてしまう。

部屋に入ると姿勢を正した吉岡さんが書き物をしている。

終わるのを待つと、「これ、勝っちゃんに書いてたんだっ」と紙を手渡される。まるで私が尋ねるのを知っていたかのようだ。


そこには、「あなたを産み、苦しみ、育て上げた母の愛を忘れるな!」・・・「母神を信じなさい!」と云うメッセージが綴られていた。

命を捧げるとか云う特攻精神はやめなさい、母神を悲しませてはいけないよ、と云う諭しであった。・・・再び滂沱の涙である。

しかし尚、不安でたまらない自分をさらけ出す。

僕は吉岡さんの様に意識覚醒していないし、神の声も聞こえない。自分に出来るのだろうか?・・・吉岡さんは凄い!。私の様に何も力が無いならば命を捧げるくらいしか出来ないではないか!・・・と。

・・・あくまでもその人は優しい。

「勝っちゃん、俺が凄いんじゃないんだよ。俺は俺の役目として裏をやっているだけなんだ。勝っちゃんは勝っちゃんで、自分なりに表をやれば良いんだよ・・・。」

言葉の意味は後で解るが、ただただ伝わる優しさに感謝し部屋に戻る。

眠れぬまま夜を過ごした・・・。


※ 一連のこの手記は、私の体験を通した私の事でしかお伝えできませんが、実際には参加者全員が皆其々の体験をして居ります。私の視点と云う偏りがある事をお伝えしておきます。

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2011年6月5日日曜日

宮古島 祈りの旅 神と出会うまで 6

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竜宮神祭はその後、長山港から「渡口の浜」。中国、台湾の神が祀られる「ヌーシウタキ」を経て、宿泊先のホテルの眼前の竜宮神に祈りを捧げ終了。

内容の濃い一日であった。

訳も分からぬまま幾つもの御神事に参加し、必死で祈っているのである。

訳は分からないが、胎道くぐりの儀式から尋常ではない意識が続いていて現実感が薄い。

祈りは回を増すごとに、神の声等は分からないまでも邪念が消え、無心で祈る様になっていた。


一流レストランで修業した、ホテルのオーナーシェフのディナー。

美味い! 味が切れる!!!


ディナーで少し現実感を取り戻したのもつかの間、伊良部島の最高神官との謁見。そして、ディープなディープな夜の勉強会へ突入だ。

夜の勉強会は美味しいお酒を頂きながら和やかに雑談をする。

個人レベルの話にも焦点を合わせ、其々の魂が解きほぐされてゆく。

今後、大きな御神事が控えているのでメンバーが高いレベルで一丸となる必要があるのだろう、吉岡さんが荒療治に近い厳しさでみんなを解放してゆく。


翌18日、本ツアーの標題ともなっている「八重干瀬祈り」である。

皆、朝から緊張している。



伊良部島から、フェリーで宮古島に移動。

フェリーを乗り替えいざ八重干瀬へ向かう。

八重干瀬上陸は一般的には観光が目的である。

船内では、島の方々が温かく場を盛り上げ、40分の船旅を飽きさせまいと楽しませてくれる。


宮古島の海人(うみんちゅ)達。


畏れ多き神の島、「大神島」を右手に北上する。


八重干瀬とは広大なサンゴ礁群であり一つの島を指すものではない。

この日上陸する島が見えてきた。



とても広い。

上陸後吉岡さんが見定めた依り代に急行。祈りが始まる。

私はここで初めて、「男神」と云う役で立たされる。

そう、昨日通達された役だ。

神の依り代として男が立つのである。

吉岡さんの真後ろに座り祈りが始まる。

吉岡さんの右に熟練の巫女、左に私の妻。・・・妻はこの旅でパイプの広い(通りの良い)巫女である事が分かったのだ。そして、私の両側に5人の巫女。その後ろに通称おばあ(沖縄では敬称である)と呼ばれる母的な巫女。(巫女は降ろす役はもちろんだが、男神を助ける役目もある)。更にその後ろにこの祈りのみに駆け付けた関東の神社の女性神主さんが立つ。盤石の態勢だ。



足場はごつごつとむき出しのサンゴ礁だ、両膝をついているのだが偶々その場所が斜めで、右膝にのみ重心が掛かりサンゴが食い込む。

痛みと、役目を全うしたい真剣さで頭が真っ白。・・・神様を感じるどころでは無かった。

終了後、「勝っちゃん、どうだった?」と聞かれたが何も答えられなかった。そして、「まあいいや、でもこれからも避雷針になってもらうから・・・」 あっ そうですか・・・。


妻が見つけた「宝貝」・・・女性、繁栄、生誕、富等の象徴だそうだ。
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帰りは船内で、島酒や刺身がふるまわれ様々な余興で盛り上がる。

我々にとっては直会(なおらい)である。

ヤギの乳で割った泡盛

島魚の刺身

2011年6月4日土曜日

宮古島 祈りの旅 神と出会うまで 5

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ヤマトブー大岩から、牧山展望台を経て、「豊見氏親(トヨムウズヌシュー)」の墓碑へ。


1450年、伊良部島の首長であった豊見氏親は、海で暴れ多くの島民の命を奪っていた「フカ」を、自らの命を掛けて退治した英雄である。


墓碑の隣に豊見氏親の子孫が最近になって建てた拝所(うがんじょ)がある。

ここでも祈るのだが、そこでの祈りはこの旅で唯一の人格神への祈りである。(先発隊は宮古島でも行った)

祈りが始まってほどなく、吉岡さんの神言葉による祈りが止まり嗚咽に変わる。

鼻をすすりながらの祈りを終え、話を聞く。

「ヤマトの人たちが、これほど私たちの島の事を思ってくれるとは、とてもうれしいことです。この星に生まれた子供は全て私たち親たちの子供だからこそ、未来に命を繋ぐ為に手を、心を合わせてくれる皆さんの気持ちに心から感謝しています。あなたたちは、私の島の子供と同じです。島の家族の一員として、これからも一緒にこの島を守って下さい。」・・・と仰っていたのだと云う。

まさかそんな言葉を掛けてくれるとは思ってもみず、苦労が報われた思いで胸が詰まったのだ。

神も人もされて嬉しい事は同じである。

御神事で泣かされたのはこれが初めてだったそうだ。


余談だが、この祈りの前に「祭壇周辺のゴミを拾え」と促された一人のメンバーが居た。

その娘は勉強会等で吉岡さんに悪態をついたり(かわいくだが・・・)する娘であったが、「ハイ!」と立ち上がり、裸足の足の裏を真黒にして無心でゴミを拾い始めた。

すぐ後ろにいた私は手伝おうと思うのだが真摯なその姿に圧倒されて手が出せない。

美しい!・・・神に使われる姿の美しさに感動していた。

その姿は神そのものだ、神はありとあらゆる方法でその存在を見せて下さっている。神はたった一人の「自分」と云う存在を通して、自分以外の他の全てを作りだしているのだ。だから、自分が見ている世界は全て神であり、自分で自分が見る世界を作っているのなら自分が全ての創造主であり=神なのだ。

神が神を求めるのはおかしなことで、神は自分の外には居ない・・・。

以来、その娘の見え方も一変した。


途中、素敵な喫茶店で一服。


場所を、長山港へ移す。

海中の「竜宮底神(りゅうぐうすくしん)」に祈りを捧げる。



祈りの後、吉岡さんに呼ばれ、「勝っちゃん、お前今、白い玉を頂いたの分かったか?」と聞かれる。

「分かりませんでした」 「まあいいや、なんであんたなのかは分からないけど明日からの御神事で役を与えるから頑張って」 「は?はい!」とは答えたものの・・・エッ、なにそれ~!

なにそれ~である。

元々の素質に訓練も積み神のメッセージを聞けるメンバーや、吉岡さんの様に神語ペラペラなら良いですけど・・・。

大変な事になって来た・・・。

2011年6月3日金曜日

宮古島 祈りの旅 神と出会うまで 4

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昼食をはさみ竜宮神祭は続く。

西の端のなべ底から、右回りで聖地を巡る。

土地祈りでも門から右回り(時計回り)で角に祈りを捧げてゆき土地を締めるが、これも同じ意味があるのかも知れない。

ところで御神事では全員白い服を着ている。日本の伝統的な神事でも正装は白だがこの小さな島で白い服の集団は異様に映るかも知れない。

我々は何の宗教でもないし吉岡さんも組織を作る事は無い。まして吉岡さんは個に埋没しやすいスピリチュアリズムが嫌いである。

この旅でもたまたま集まった(神はからいではあるが・・・)其々が、にわか仕立てのユニットを組み、この時だけ機能させた単なるチームである。誰が上でも下でも無くチームの一員として其々が其々の役目で働いただけである。吉岡さんもまたしかりである。

白い服は神前に於いて我を消した自分を表明するものであると共に、吉岡さんには敢えて白服の集団として目立つ行動を取る意味があった。

吉岡さんは排他的なこの島に何年も通い続け、廃れた御嶽(ウタキ・・・琉球信仰の祈り場)を再興したり、消えかかる島民の神心を復活させてきた。

そして、この白服の集団が帰ると、雑草が繁茂しゴミ捨て場と化した御嶽が綺麗になっている。島の神によそ者が土下座して祈っている。・・・と云う事で現在は島に完全に受け入れられているのだ。

現に、どこへ行っても吉岡さんと親しく談笑する島民が居るし、我々を訝しげによそ者を見る様な視線を全く感じない。

ここまでになるには大変なご苦労があったであろうが、今では、部外者等決して参加する事が出来ない、伝統的な「ユークイ」と云う御神事で吉岡さんは上座に座ることさえ許されている。

独りよがりに神事(かみごと)だなんだと云っても、人の心と繋がっていなければ何の意味もない。


話を元に戻して、竜宮神祭は北の端、スーフツミーへ。ここには「潮吹き岩」があり、「オキノカナメの尊」が鎮座する。



浜辺に閉じられた龍穴がある。

ここを囲んで祈る。一瞬フラッシュの様に白い龍が立ちのぼったのが見えた。・・・エッ?!


続いて、東の端、佐良浜港にある「ミナトミライ」へ。

陰陽和合の神だ。



 









続いて、「ヤマトブー大岩」。

石灰岩の結晶であるパワーストーン「カルサイト」からなる巨岩で高さは15メートルもある。

この岩を切り出して、国会議事堂の建築に使われたそうだ。

それだけ力のある石だからだが、力のあるものをその場から移動すると歪が出る。

移された場でも、移した場でも双方に影響があるのだ。

良いものだからと云って、良く働くとは限らない。


この巨岩そのものが御神体である。


2011年6月2日木曜日

宮古島 祈りの旅 神と出会うまで 3

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17日、いよいよ祈りの聖地巡りが始まる。

先ずは、伊良部島の観光名所でもある下地島の「通り池」、その奥の聖地「なべ底」へ向かう。

なべ底は伊良部島の最高の神々が集まる聖地だ。

通り池へ通じる門前で、立ち入ることの御挨拶の祈りをする。

門の両脇に、吉岡さんが、塩・水・酒と捧げてゆき、整列し祈る。

云うなれば私にとってのそれが初めてのチームでする御神事である。見よう見まねで吉岡さんに従い祈る。訳も分からずただ祈る。私の祈りはいつも只一つ、「ありがとうございます」である。



通り池を通過し、なべ底へ向かう。

なべ底は生まれ変わりの聖地とも云われ、そこで禊(みそぎ)をし純白の心となって御神事にあたるのだ。



沖縄の聖地の多くは、岩や木や場所そのものであり、自然神崇拝である。


中央にある穴が子宮の入り口でそこから母なる胎内・なべ底へ入る。・・・胎道くぐりの儀式だ。

この穴は、普通の体格の大人一人がやっと通れるほどの狭い穴である。

「小錦は生まれ変われないのか!?」などと、まだまだ普通の思考が働く。


胎内は直径が10メートル程の小さなもので、海水と真水が入り混じった浮力の低い水に浸かり禊をする。

我々が入水すると急に波が強くなり、否応なく洗い清められる。

暫し全身を預けた後、ここを出るのだが出口がまた厳しい。

ほぼ直角の岩肌を伝い自力のみで這い登るのだ。・・・他人は一切手を貸してはいけない。


この日は、吉岡さんが独自に敢行した「竜宮神祭」の一環として各地を回った。

琉球の龍脈を全て通す御神事は吉岡さんが過去にされた主要な御神事の一つである。

龍神とか龍脈とか云われてもピンとこない方も多いかと思うが、龍は広義では地球の自然現象一切を司る神であり、地球そのものが龍体である。その働きの違いで、金龍とか、黒龍等と称される。

・・・取りあえず疑問に感じても今は聞き流して下さい。私も最初は「なんのこっちゃ?」・・・でしたから。

胎道くぐりの儀式を終えてから、明らかに自分の何かが変わり、その後終始不思議な感覚に包まれっぱなしの状態になった。

この儀式でなべ底には入らず祈りを捧げる吉岡さんと、もう一人だけ外でお役目をした女性が神憑る。(かみがかる)

このツアーの参加者は、私と吉岡さん以外全て女性で、その全員が巫女役である。

巫女の自覚があり、それで働ける事を元々分かっていて参加した方も居るし、何も分からず参加した方も、御神事に於いては全て巫女役である。

神憑った女性は元々の巫女体質の方だ。

「黒龍が呼んでいる」との事で急遽場所を移動。悲しく見捨てられた黒龍様の聖地で祈りを捧げる。

ここで、「宮古番」と呼ばれる宮古の地(じ)の女性が入口の巫女となり黒龍様をお通しする。即座に憑り、悲しみの意識を一身に受け泣きじゃくる。その女性はプロではないがユタなのだ。

そんなのを間近で体験するのも初めての事だ。

ひたすら祈り、終了。

なんだろう、この感覚は・・・。



「宮古島 祈りの旅 神と出会うまで」 2

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4月16日、妻と二人、念願の宮古島再訪の日が訪れた。

早朝に家を発った我々は、夕方、宮古島に到着。宮古島平良(ひらら)港より、フェリーにて集合場所である伊良部島へ向かう。



伊良部島・佐良浜港。

情緒満点。


我々より早い便で宮古島入りしていた吉岡さんと、他のメンバー達と落ち合う。

このツアーは吉岡さんが一般に募集したにも拘わらず、ほぼ全員が関東勉強会のメンバーで、元々の顔見知りが集まった。・・・示し合わせた訳でもない。

妻は逆に全ての方と初対面で、行く前はその事を危惧していたが温かく優しいメンバー達とすぐに打ち解けた。

総勢10名での祈りの旅が始まる。

宿泊先のホテルの窓外・・・。



夕食後は、勉強会でも恒例の酒と和みの大宴会!

毎晩深夜まで行われるこの会は、個人レベルの話をシェアーしたりととても有意義である。

初日の今日は、明日からの御神事でのメンバー同志の結束を強め、共に最高の働きをさせて頂くための親睦会だ。



翌日からは御神事として聖地をまわるのだ。・・・期待と不安が交錯する。

御神事の事など何も知らないし、なにしろ全てが初めての事だ。

何が待っているのだろう・・・?
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「宮古島 祈りの旅 神と出会うまで」 1

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去年の秋に妻と二人、宮古島の聖地を巡る旅をした。

その旅がきっかけで、日本中の土地で祈りを捧げ、過去の歴史の中での歪みや閉ざされた流れを正し、正常に戻そうと命がけで奔走する祈り人と出会った。

祭祀王である天皇。また、神職や宗教家では無く、在野の人間の中にその様な人が何人かいて、人知れず必死に日本を守ろうとしていると云う事を聞いた事があった。

その内の一人が私の出会った吉岡学さんである。・・・吉岡学公式ブログ

秋に訪ねた初めての宮古島の旅で、無知なる罪で聖地を穢す行いをしてしまった私に、心からのお叱りを下さり、その後開催される事になった氏の「関東勉強会」で様々な事を学ばせて頂いている恩人である。

初めての宮古島でその地のありとあらゆる素晴らしさの虜になっていた我々夫婦は再訪を強く祈念していた。

半年も経たぬ間にそれが実現したのは、吉岡氏が、「宮古島八重干瀬祈りツアー」なるものを企画して下さったからである。

八重干瀬(やびじ)とは、宮古島の北方20K前後に位置し、大潮の時にのみ姿を現す幻の大陸だ。

一般的には、ダイビングや、サンゴ礁散策の観光地とされているが、年に一度最大面積が出現する時、宇宙の神々が降臨される巨大な依り代となる。

その地で、フェリーの運航問題上、今回が最後となるかも知れない上陸、祈りを捧げ、また、他の様々な聖地で御神事を行うと云うツアーなのだ。

とにかく、神事(かみごと)の大先達と共に聖地に行ける事。また、震災の事もあり、日本を南で守る琉球の地で、私には何も力は無いが心からの祈りを捧げられればとそのツアーに申し込んだのだった。

今、地球は大転換期の只中にある。スピリチュアリズムの世界では、「アセンション」と云い、人類の大きな意識変化による次なる調和の世界の実現が待たれている。

今後、これまでの規範が崩壊、変化する「パラダイムシフト」そして、次元上昇「アセンション」が起こると云う。

その事は、(趣味の様に)精神世界を探究して来たため知識としては知っていた。しかし、体感した事では無いので、もちろん懐疑的に捉えていた。

この旅で、様々な神秘体験と悟りがあり、今はそれが事実であると確信する。


震災での学びもあり、日本中で気付き始めた多くの魂が個人レベルでのアセンションを次々に果たし、愛の世界を生き始めている。

この話を自身のブログで公表する事には大きなためらいもあった。しかし、今、変化のスピードが問われている。もっともっと多くの人が目覚め、個人意識の広がりが集合意識に変化する必要がある。

要は、個人が愛と調和に生きるかどうかを選択する事である。簡単な事でしょうか? 難しい事でしょうか? 

スピリチュアルアレルギーの方にも是非耳を傾けてほしい重要なメッセージを勇気と自信を持って公開して行きますので暫くの連載にお付き合い下さい。

2011年5月27日金曜日

柏葉窯の華たち 21


新天地では赤ちゃんラッシュ!!!

キリギリスだ!





カマキリも・・・




そして教室では、種から芽を出したシンボルツリー「柏」の子供があちこちに。




こちらは新天地、珍しい「ナナフシ」の子供。






新たな命の輝きです!



2011年5月4日水曜日

震災復興支援募金 中間集計

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募金の中間集計をいたしました。




これまでに現金で集まりました292,000円を、多摩市議会議員 折戸小夜子事務所へ託しに行きました。

ところが事務所でも数日前にまとめて多摩市に納めた後だとの事、そこで直接多摩市に納めて参りました。

お金と云うエネルギーに形を変えた皆さまの愛の光が被災地を照らします。


開設した口座には現時点で36,000円のお振込を頂いております。

口座のものは最終的に解約して納めます。

もう暫く募金活動を続けて参りますので今後ともよろしくお願いいたします!

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